Beranda / ファンタジー / 黒翼の悪役令嬢は偽りの聖女を許さない / ​5話 沈黙の食卓と冷ややかな眼光

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​5話 沈黙の食卓と冷ややかな眼光

last update Tanggal publikasi: 2026-08-09 02:39:52

 離れの小さな部屋でひっそりと育った少女は、無事に3歳の誕生日を迎えていた。育ての親であるマルタもまた、20歳の麗しい娘へと成長していた。

​ヴァルハイト公爵夫妻は、忌み子として生まれた赤子にマルタが『ルシエラ』という名を与えたと知った時、咎めるどころか半ば胸を撫でおろしていた。

名付け親という重大な責任を自分たちではなく一介のメイドになすりつけることができ、世間や教会の目を少しでも誤魔化せる口実ができたと、身勝手な安堵を覚えていたのだ。

​しかし、いくら遠ざけようと血の繋がりまでは消し去れない。

ルシエラが自分でスプーンを握り、正しく食事をとれる年齢になってからは、世間の手前、朝夕の食卓だけは共に囲むこととなった。

​広いダイニングルームに流れるのは、痛いほどの沈黙。

食器とカトラリーが触れ合うかすかな音以外、会話の一つすら存在しない。

​(……くっ、なんなのだ、この圧迫感は……!)

​アレクシスは、料理に手をつけるふりをしながら、密かに冷汗を流していた。

会話はない。しかし、息が詰まるような緊張感が部屋を満たしている。一挙手一投足を、まるで絶対的な高位の存在に『監視』されているかのような錯覚。

​誰が、誰を監視しているというのか。

親であるはずの自分たちが、たった3歳の己の娘に、だ。

​「……っ」

​エレノアが耐えかねたようにフォークを置いた。

ルシエラは、日頃お世話をしてくれるマルタに向けるときには、花がほころぶような愛らしい笑顔を見せる。しかし、実の父母である夫妻に対して向けるのは、感情の欠片すら存在しない『無』の視線だった。

その漆黒の髪と深紅の瞳に見つめられるだけで、己の浅はかな魂の奥底まで見透かされているような恐怖に囚われるのだ。

​「……気分が悪くなりました。失礼します」

​顔を蒼白にしたエレノアが立ち上がり、逃げるように食堂を後にしていく。

アレクシスはその背中を黙って見送り、妻の足音が遠のいたのを確認すると、静かに深呼吸をした。

​そして、ルシエラの背後に控えていたマルタへ、極めて冷淡な声をかける。

​「……マルタ」

​「はい、公爵様」

​「『ルシエラ』は……不吉を起こすこともなく、無事に育っているか」

​娘の名を呼ぶことすら拒み、まるで異形の存在の経過報告でも求めるかのような問いかけ。

マルタは背筋をピンと伸ばし、ルシエラを庇うように一歩前へ出ると、誇り高く微笑んで見せた。

​「ご安心くださいませ、公爵様。ルシエラ様はとてもお利口で、誰よりも健やかに、そして気高く成長していらっしゃいます」

​その言葉と同時に、3歳のルシエラは静かに小さなスープスプーンを置き、深紅の瞳を公爵へと向けた。そこには、幼子らしからぬ絶対的な静寂と、冷徹なまでの尊厳が宿っていた。

◇

​「ふぅ……ルシエラ様、お食事おつかれさまでした。お部屋に戻りましょうね」

​「うん! マルタ、きょうのスープ、おいしかった!」

​本邸の重苦しいダイニングを出た瞬間、ルシエラは小さな手をマルタの手にキュッと握らせ、3歳児らしい可憐な笑顔を咲かせた。

​実の親へ向けた冷徹な『無』の視線が嘘のように、離れへと連なる廊下をパタパタと楽しそうに歩く。

​「ふふ、ルシエラ様はお野菜も残さず召し上がって、本当にえらいです」

​「マルタがつくってくれたやつ、ぜんぶたべるの。あの、おおきなおじさんとおばさんは、いつもごはん残して、もったいないね?」

​『大きな男の人と女の人』――実の父母であることを理解していながら、あえてそう呼ぶルシエラ。無邪気で幼い声色でありながら、大人の身勝手や本質をどこか鋭く見抜いている賢さに、マルタは胸を締めつけられつつも優しく頷いた。

​「そうですね。でもルシエラ様は、美味しく食べられる優しい子でいてくだされば、それでいいんですよ」

​古びた離れの部屋に戻り、マルタがルシエラの食後の着替えを手伝おうとした、その時だった。

​「……ん」

​「ルシエラ様? どうされましたか?」

​ルシエラが不意に小さな手を背中に伸ばし、小さく眉をひそめた。

​「マルタ……ここ、お背中が、ちょっとだけ痛いの」

​「えっ……!? お背中が……?」

​マルタは焦ってルシエラの背中を覗き込み、服の背中側をそっと捲り上げた。

しかしいクラ確認しても、傷もなければ打撲の跡もなく、皮膚は赤くすらなっていない。真っ白で綺麗な赤ん坊の肌そのものだった。

​「どこかぶつけましたか? 見た目には、何もなっていないみたいですけれど……」

​「ぶつけてないよ? なんだかね、背中の中で、あったかいのが、うごいてて……痛いの」

​「背中の中で……?」

​マルタは魔法が使えない。そのため、体内で練り上げられようとしている『魔力』や『マナ』の渦を感知することはできなかった。

​けれど、あの日――羽虫が一瞬で黒い炎に包まれた光景が、頭をよぎる。

​(この子の体の中で、何か恐ろしい魔法の力が蠢いているの……? 見た目には何もないのに、どうして……)

​目に見えない異変に、マルタの心臓が不穏な鐘を鳴らし始める。

ルシエラの背中を愛おしそうに優しく撫でながら、マルタは消えない不安を隠すように、無理に柔らかな微笑みを浮かべるのだった。

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