Masuk離れの小さな部屋でひっそりと育った少女は、無事に3歳の誕生日を迎えていた。育ての親であるマルタもまた、20歳の麗しい娘へと成長していた。
ヴァルハイト公爵夫妻は、忌み子として生まれた赤子にマルタが『ルシエラ』という名を与えたと知った時、咎めるどころか半ば胸を撫でおろしていた。 名付け親という重大な責任を自分たちではなく一介のメイドになすりつけることができ、世間や教会の目を少しでも誤魔化せる口実ができたと、身勝手な安堵を覚えていたのだ。 しかし、いくら遠ざけようと血の繋がりまでは消し去れない。 ルシエラが自分でスプーンを握り、正しく食事をとれる年齢になってからは、世間の手前、朝夕の食卓だけは共に囲むこととなった。 広いダイニングルームに流れるのは、痛いほどの沈黙。 食器とカトラリーが触れ合うかすかな音以外、会話の一つすら存在しない。 (……くっ、なんなのだ、この圧迫感は……!) アレクシスは、料理に手をつけるふりをしながら、密かに冷汗を流していた。 会話はない。しかし、息が詰まるような緊張感が部屋を満たしている。一挙手一投足を、まるで絶対的な高位の存在に『監視』されているかのような錯覚。 誰が、誰を監視しているというのか。 親であるはずの自分たちが、たった3歳の己の娘に、だ。 「……っ」 エレノアが耐えかねたようにフォークを置いた。 ルシエラは、日頃お世話をしてくれるマルタに向けるときには、花がほころぶような愛らしい笑顔を見せる。しかし、実の父母である夫妻に対して向けるのは、感情の欠片すら存在しない『無』の視線だった。 その漆黒の髪と深紅の瞳に見つめられるだけで、己の浅はかな魂の奥底まで見透かされているような恐怖に囚われるのだ。 「……気分が悪くなりました。失礼します」 顔を蒼白にしたエレノアが立ち上がり、逃げるように食堂を後にしていく。 アレクシスはその背中を黙って見送り、妻の足音が遠のいたのを確認すると、静かに深呼吸をした。 そして、ルシエラの背後に控えていたマルタへ、極めて冷淡な声をかける。 「……マルタ」 「はい、公爵様」 「『ルシエラ』は……不吉を起こすこともなく、無事に育っているか」 娘の名を呼ぶことすら拒み、まるで異形の存在の経過報告でも求めるかのような問いかけ。 マルタは背筋をピンと伸ばし、ルシエラを庇うように一歩前へ出ると、誇り高く微笑んで見せた。 「ご安心くださいませ、公爵様。ルシエラ様はとてもお利口で、誰よりも健やかに、そして気高く成長していらっしゃいます」 その言葉と同時に、3歳のルシエラは静かに小さなスープスプーンを置き、深紅の瞳を公爵へと向けた。そこには、幼子らしからぬ絶対的な静寂と、冷徹なまでの尊厳が宿っていた。 ◇ 「ふぅ……ルシエラ様、お食事おつかれさまでした。お部屋に戻りましょうね」 「うん! マルタ、きょうのスープ、おいしかった!」 本邸の重苦しいダイニングを出た瞬間、ルシエラは小さな手をマルタの手にキュッと握らせ、3歳児らしい可憐な笑顔を咲かせた。 実の親へ向けた冷徹な『無』の視線が嘘のように、離れへと連なる廊下をパタパタと楽しそうに歩く。 「ふふ、ルシエラ様はお野菜も残さず召し上がって、本当にえらいです」 「マルタがつくってくれたやつ、ぜんぶたべるの。あの、おおきなおじさんとおばさんは、いつもごはん残して、もったいないね?」 『大きな男の人と女の人』――実の父母であることを理解していながら、あえてそう呼ぶルシエラ。無邪気で幼い声色でありながら、大人の身勝手や本質をどこか鋭く見抜いている賢さに、マルタは胸を締めつけられつつも優しく頷いた。 「そうですね。でもルシエラ様は、美味しく食べられる優しい子でいてくだされば、それでいいんですよ」 古びた離れの部屋に戻り、マルタがルシエラの食後の着替えを手伝おうとした、その時だった。 「……ん」 「ルシエラ様? どうされましたか?」 ルシエラが不意に小さな手を背中に伸ばし、小さく眉をひそめた。 「マルタ……ここ、お背中が、ちょっとだけ痛いの」 「えっ……!? お背中が……?」 マルタは焦ってルシエラの背中を覗き込み、服の背中側をそっと捲り上げた。 しかしいクラ確認しても、傷もなければ打撲の跡もなく、皮膚は赤くすらなっていない。真っ白で綺麗な赤ん坊の肌そのものだった。 「どこかぶつけましたか? 見た目には、何もなっていないみたいですけれど……」 「ぶつけてないよ? なんだかね、背中の中で、あったかいのが、うごいてて……痛いの」 「背中の中で……?」 マルタは魔法が使えない。そのため、体内で練り上げられようとしている『魔力』や『マナ』の渦を感知することはできなかった。 けれど、あの日――羽虫が一瞬で黒い炎に包まれた光景が、頭をよぎる。 (この子の体の中で、何か恐ろしい魔法の力が蠢いているの……? 見た目には何もないのに、どうして……) 目に見えない異変に、マルタの心臓が不穏な鐘を鳴らし始める。 ルシエラの背中を愛おしそうに優しく撫でながら、マルタは消えない不安を隠すように、無理に柔らかな微笑みを浮かべるのだった。地下聖堂に充満する極彩色の胞子。操られた無数の人間たちが肉の壁となって立ちふさがる中、ライネルとルシエラは背中を合わせ、刃と神聖魔力を構え続けた。「ライネル君、人間たちを傷つけずに無力化するわ! 合わせて!」「了解だ!」ルシエラが大天使の威光を解き放ち、広範囲に慈愛の聖光を降らせる。光に包まれた護衛騎士や執事たちは、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、一時的な昏睡状態へと陥った。肉の壁が取り払われたその一瞬。ライネルは地を蹴り、神聖剣『アルヴァ=クレイド』に己の限界を超える白銀のマナを流し込んだ。「切り裂け……『アルヴァ=クレイド』ッ!!」閃光の一閃。白銀の刃が、ついに花開こうとしていた巨大な蕾の核を真っ二つに断ち割った。ズバァァァンッ!!爆発的な聖光が地下空間を埋め尽くす。極彩色の汁液が撒き散らされ、巨塊は悲鳴のような破砕音とともに崩れ落ち、黒い煙を上げて灰へと変わっていく。周囲を覆っていた粘着質な蔦も次々と枯れ果て、不快な圧迫感が引いていった。「やったのか……?」息を荒らげるライネルが、剣を構えたまま警戒を解かずに呟く。倒れ伏した人間たちは息をしており、命に別条はない。公爵邸を侵食していた異様なマナも、潮が引くように消え去っていた。だが――。「……違うわ」ルシエラは駆け寄ることなく、ただ硬直したまま、灰となった蕾の跡地を見つめていた。深紅の瞳に宿るのは、討伐の達成感ではない。底知れぬ寒気と、凍てつくような絶望だった。「ルシエラ……? どうしたんだい?」「ライネル君……これじゃないわ。これも……悪魔の本体なんかじゃない」「な……なんだと!?」ルシエラは己の胸にそっと手を当て、絞り出すように言葉を繋いだ。「前世の私が覚えている……あの悪魔の本質は、こんな手応えではないわ。いま倒したのは、公爵家の絶望や恐怖を集めて作られた、単なる『巨大な魔力の貯蔵庫』に過ぎない……!」「貯蔵庫……!?」「ええ。本隊は……悪魔の意志の核は、最初からここにも、学園にもいなかったのよ」ライネルの背筋に冷や汗が伝った。学園での騒動も、この公爵邸での失踪事件も、すべてはただの「撒き餌」であり「集魔器」に過ぎなかったのだ。自分たちが学園で勝利に酔い、公爵邸の事件に足止めされている裏で、蓄
地下へ続く石造りの階段を下りるにつれ、湿り気を帯びた冷気が肌を刺した。階段の壁面には、ぬらぬらと怪しい光を放つ極彩色の蔦が網の目のように張り巡らされている。それはまるで巨獣の血管のように規則正しく脈動し、吸い上げた生命力を館の最深部へと送り届けているかのようだった。「ひどい……。館全体の血を吸い上げるように、マナが地下へ集まっているわ」ルシエラは足元をかすめる極彩色の蔦を鋭い視線で睨みつけた。大天使としての知覚が警鐘を鳴らし続けている。学園で遭遇した悪魔の気配とは比較にならないほど、濃密で巨大な「悪意の核心」がこの真下に眠っているのだ。「焦るな、ルシエラ。奴の狙いは僕たちの冷静さを奪うことだ」ライネルは神聖剣『アルヴァ=クレイド』を低く構え、慎重に歩みを進める。剣身から放たれる白銀の光が、階段を覆う不快な毒気と極彩色の蔦をジワジワと焼き払い、二人の前方にささやかな道を作り出していた。やがて階段が途切れ、広大な地下大聖堂のような空間へと躍り出た。かつてヴァルハイト公爵家が密かに神聖な儀式や秘宝の保管に使っていたとされるその場所は、いまや禍々しい「密林」へと変貌を遂げていた。頭上からは無数の極彩色の蔦が垂れ下がり、中央の祭壇には、巨大な肉塊のような「蕾(つぼみ)」が不気味に脈動している。そして――その蕾の周囲には、これまで公爵家から失踪したはずの護衛騎士や執事たちの姿があった。「あ……あれは……!」ルシエラが息をのむ。失踪者たちはまるで人形のように虚ろな目で壁際に並び、その背中や首筋からは細い蔦が伸びて蕾へとつながっていた。彼らは生きながらにして意識を奪われ、絶え間なく魔力と生命力を蕾へと供給させられているのだ。『フフフ……よくぞ来てくださいました、ルシエラ様。そしてライネル殿下』地下聖堂全体に、重層的で不気味な声が響き渡った。声の主はどこにもいない。いや、空間を満たす極彩色のマナそのものが言葉を発しているのだ。「姿を現せ、悪魔! 人々をそのような惨状に陥れて、一体何を企んでいる!」ライネルの一喝に対し、中央の巨大な蕾がぐにゃりと歪み、嘲笑うような波動を放った。『企む? いいえ、これは「回収」ですよ。学園という小さな庭園で蒔いた種が実り、こうして芽吹く時が来たのです。あの愚かな聖女エルミナを傀
静まり返った廊下に、メイドの浅い呼吸音だけが微かに響いていた。ライネルは膝をつき、メイドの脈拍と魔力残量を確かめる。「……命に別条はないが、精神と魔力を極限まで削られている。自力で起き上がるには時間がかかるだろう」「悪魔の残滓を植え付けられ、傀儡として使われていたのね……」ルシエラはメイドの青白い顔を見つめながら、拳を強く握りしめた。あの日、学園で討伐したはずの悪魔。その悪魔がエルミナを操っていた時に放っていた、あの毒々しく不快な極彩色のマナ。それが今、目の前のメイドの体を蝕み、まるで使わなくなった人形を捨てるかのように打ち捨てられた。(あの時……学園で感じた違和感は正しかったのね。あの悪魔は、単なる端末の一つに過ぎなかった……)学園という隔離された環境で事件を起こし、自分たちの注意をそこに引きつけている間に、本隊はすでに都市全体、そしてこのヴァルハイト公爵家へ着実に根を張り巡らせていたのだ。「ライネル君、公爵家だけじゃないわ。この都市に生きる人々の中に、どれだけの『犠牲者』が潜んでいるか分からない……」「ああ。学園の警備を強固にしたところで、街全体がすでに敵の巣窟になっているとすれば……俺たちの手は圧倒的に足りない」ライネルの表情に苦悶の色が走る。二人が学園での平和に安息を見出そうとしていたその裏で、暗黒の侵食は確実に進んでいたのだ。その時――。カツン、カツン、と。廊下の奥、暗がりのさらに先から、不自然なほど整った足音が近づいてきた。二人は即座に身構えた。ライネルは神聖剣を鋭く構え、ルシエラもまた背後にメイドを庇うように立ち塞がる。「誰だ……ッ! 姿を見せろ!」ライネルの一喝が廊下に響き渡る。暗闇の中からゆっくりと現れたのは――「……おや、おや。せっかくの『再会』の場だというのに、そんなに物騒なものを向けないでおくれよ、ライネル殿下」そこに立っていたのは、ヴァルハイト公爵家の執事長――いや、その皮を被った「何か」だった。彼の瞳は光を失い、完全に濁りきっている。しかしその口元には、薄気味悪い笑みが貼りついていた。その体表からは、先ほどのメイドとは比較にならないほど濃密な、ドロリとした極彩色のマナが揺らめいている。「執事長……! あなたまで悪魔の傀儡に……!」「傀儡? ふふ、
翌日の午後。 重々しい鉄製の門をくぐり、ライネルとルシエラを乗せた馬車は、ヴァルハイト公爵家の広大な敷地へと足を踏み入れた。 かつては完璧に手入れされていた庭園は雑草が生い茂り、巨大な館は昼間であるにもかかわらず、まるで打ち捨てられた墓標のように不気味な死気を漂わせている。 馬車から降りた二人を迎えたのは、痩せこけ、身なりも乱れたアレクシス公爵だった。 「ル、ルシエラ……! ライネル殿下……ッ!」 かつての威厳など欠片もなく、アレクシスは涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、藁にもすがる思いでルシエラの前に膝をつき、そのドレスの裾にしがみついた。 「帰ってきてくれたのだな……! 頼む、助けてくれ! 館の使用人たちが、騎士たちが……みんな消えていくんだ! 私が悪かった、お前を冷遇した報いなのは解っている! だが頼む……助けてくれぇっ!」 プライドを完全に投げ捨て、惨めに命乞いをする父の姿。 ルシエラは冷ややかな、けれどどこか寂しげな眼差しでアレクシスを見下ろした。 その時――館の三階の窓が激しく開かれ、金切り声が響き渡った。 「来ないで! 誰も私に近づかないでぇぇっ! 狂っているわ、この家はみんな狂っているのよーッ!!」 狂乱した妻――ルシエラの母が、乱れた髪を振り乱しながら室内で調度品を叩き割っている。アレクシスは妻の叫び声にビクッと肩を震わせ、頭を抱えて縮み上がった。 「……ライネル君。館の雰囲気が、おかしいわ」 ルシエラが小さく呟いた。 大天使としての彼女の感性が、館全体を包み込む目に見えない重苦しい違和感を正確に察知していた。表面上はただの廃れた屋敷に見えるが、空間の奥深くに粘着質な悪意がこびりついている。 「ああ。警戒を怠るな、ルシエラ」 ライネルは神聖剣『アルヴァ=クレイド』の柄に手をかけたまま、ルシエラと共に静かに館の内へと足を踏み入れた。 ◇ 静まり返った館の廊下。 足音だけが空虚に響き渡る中、二人は慎重に手分けをして散策を進めていた。 豪奢な絵画や調度品には埃が被り、人っ子一人いない広大な空間。 二階の奥、かつて執事室として使われていた部屋の前に差し掛かったその時――廊下の曲がり角の「暗い影」から、不自然な黒い揺らめきが立ち上った。 「……ッ!? ライネル君、あそこよ!
夏光の弾けるプールでの一時を終え、自室へと戻っていたルシエラ。 濡れた髪を拭いながらデスクへ向かうと、そこには一枚の封書が置かれていた。 「お嬢様。先ほど、ヴァルハイト公爵家より親書が届きました」 マルタの低く落ち着いた声に、ルシエラは手を止めた。 実家――ヴァルハイト公爵家からの手紙。 かつて自分を冷遇し、事実上の追放同然に学園の寮へと追いやった父アレクシスからの便りなど、一体いつ以来だろうか。 ルシエラは封を切り、中に納められていた羊皮紙を広げた。 そこに躍っていたのは、かつての威厳ある筆致とは程遠い、震え不揃いな文字だった。 『ルシエラへ。 突然の手紙を許してほしい。……今、館で不可解な事態が起きている。使用人や護衛たちが次々と失踪し、ついに私と母、そして二人のメイドを残すのみとなってしまった。 私が今までお前になしてきた暴言と冷遇、許されるとは思っていない。だが……頼む。一度だけでいい、館へ帰ってきてはくれないだろうか。情けない父親の、最後の願いだ』 手紙を読み終えたルシエラは、静かに吐息を漏らした。 (お父様が……私に助けを求めるなんて) かつてあれほど高慢で、自らのプライドと公爵家の威信だけを誇っていた父が、ここまで言葉を低くして乞うてくる。その文面からは、公爵家の没落と、彼自身が恐怖に追い詰められている凄惨な現状が痛いほど伝わってきた。 「お嬢様……如何なさいますか?」 マルタの問いかけに、ルシエラは窓の外の澄み渡った夏空を見つめた。 自分を裏切り、傷つけてきた家族。 見捨ててしまえばいい、自業自得なのだと切り捨てることもできた。だが――今のルシエラには、大天使としての記憶と誇りがある。 「行くわ、マルタ。……見過ごすわけにはいかないわ」 「かしこまりました。ただちにご同行の準備を整えます」 ◇ その日の夕刻、ルシエラは事の顛末を伝えるため、学園の中庭でライネルと落ち合った。 手紙の内容を読んだライネルは、険しい表情で眉間を寄せた。 「ヴァルハイト公爵家で、人が次々と失踪している……?」 「ええ。お父様からの悲痛な叫びのような手紙だったわ。……私に帰ってきてほしいと」 ライネルの頭の中で、これまで感じていた「違
平穏を取り戻した特別魔導Sクラスの女子寮。 早朝の爽やかな光が差し込む自室で、私は鏡の前に立ち、整えられた制服の襟元を手指で丁寧に直していた。 背後では、マルタがいつもの完璧な所作で温かい紅茶を準備している。 「お嬢様、本日のお茶はダージリンでございます。お召し上がりください」 「ありがとう、マルタ」 カップを受け取り、一口含む。甘く爽やかな香りが鼻腔を抜け、心が静かに落ち着いていく。 マルタの表情にも、私を気遣ういつもの温かな眼差しが戻っていた。あの悪魔の洗脳に毒され、虚ろな目をして私やエルミナに従っていた頃の痕跡は、どこにも残っていない。 (……本当に、終わったのね) 目を閉じ、体内のマナの巡りを確かめる。 魂の最奥に渦巻いていたあの不快で粘着質な悪魔の澱みは、跡形もなく消え去っていた。大天使としての気高く清廉な光が、私の胸の中で静かに、けれど力強く脈動している。 前世の記憶と、今世の私――ルシエラ・ヴァルハイトとしての意識。 二つの私が完璧に調和し、かつてのような混乱も拒絶反応ももう起きない。 旧聖堂でライネル君が掲げた『覚醒の聖鈴』の清らかな音色と、その手に握られた秘剣の閃光。あの瞬間、私を縛り付けていた漆黒の鎖は完全に断ち切られたのだ。 「マルタ、今日のエルミナの様子はどうかしら?」 「はい。エルミナ様はまだ少しショックが抜けきらないようで、本日も授業はお休みされるとのことです。……ですが、体調自体は順調に回復なさっているようでございます」 「そう……良かったわ」 私は静かにカップを置いた。 エルミナ自身もまた、悪魔にその身体と純粋な心をいいように利用されていた被害者に過ぎない。悪魔が体内から引き剥がされ、消滅した今、彼女はただの大人しく優しい少女に戻っている。 本来なら、私のことを「大好きな友人」として慕ってくれていた彼女。 悪魔の手によって歪められ、私を甘美な地獄へと引きずり込もうとしたあの悪夢のような日々を思い出すと、今でも胸がキュッと締め付けられるような痛みを覚える。 (でも、もう大丈夫。これからは、私がエルミナを守ってあげなければ……) 学園の気配は、どこまでも澄み渡っていた。 悪魔が伏魔殿のように変えようとしていたこの学校も







